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マルタの歴史はシシリー島の農民が渡来した紀元前5000年頃にさかのぼります。
紀元1世紀に聖パウロが漂着しキリスト教がマルタにもたらされました。
5世紀までローマ帝国領でしたが、中世までビザンチン帝国、東ローマ帝国、ノルマン人、アラブ人、アラゴン王国などに侵略、支配されるという激動の時代を耐えてきました。
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中でも重要な人物は16世紀初頭にマルタを治めた神聖ローマ皇帝カール5世で、彼は1530年にマルタ諸島を聖ヨハネ騎士団に譲渡したのです。260年にわたるヨハネ騎士団の支配が始まりました。 |
ヨハネ騎士団はホスピタル(病院)騎士団としてエルサレムに設立されましたが、十字軍戦役の間にキリスト教国の王族や領主の盟友となり、さまざまな特権を与えられて、キリスト教世界における最も重要な宗教騎士団の一つになったのです。
聖ヨハネ騎士団の十字架
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聖ヨハネ岸団長の中で最も有名なのは、1565年のオスマン・トルコによる大包囲戦(グレートシージ)を勝ち抜いたジャン・パリゾン・ド・ラ・ヴァレットでした。
彼の名を冠した首都ヴァレッタの建設も彼の功績です。
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聖ヨハネ騎士団のマルタ統治の時代には多くの著名な芸術家が訪れました。
カラヴァッジオは短期間に有名な「聖ヨハネの斬首」など5枚の絵を描き、今でも聖ヨハネ大聖堂で見ることができます。
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異教徒と脅威が減少するとともに、マルタ騎士団の退廃が始まり、18世紀末にポレオン・ボナパルト率いるフランス共和軍に占拠されます。
マルタを去った騎士団が再び戻ってくることはありませんでした。しかし1872年、マルタ騎士団協会が創設されて以降、世界各地への救急活動、医療品の提供、などの活動を続けており「地中海の看護婦」といわれたホスピタリティは受け継がれているのです。 |
ナポレオンがマルタに滞在したのはたった6日間でした。
1800年ネルソン提督ひきいる英国艦隊がマルタを占領し、1814年のパリ条約によりマルタは英国領となりました。
1964年に英連邦の中で独立し主権国家となります。 |
その後マルタの人々の強い願いで、1979年には180年間駐屯していた英国軍がマルタを離れました。英国に頼っていた経済の危機を国民が受けいれ、労働党、国民党が交互に政権を担当し、緊張したバランスを保っています。
国民も政治に無関心ではいられません。国民選挙は90%以上の国民が参政します。
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